ルポルタージユ
実現される障害者の夢—ベテスダホームを訪れて
pp.49-51
発行日 1957年11月1日
Published Date 1957/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201370
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
長谷川さんを救つたもの
長谷川茂代さん(大正9年生れ)は6才の時小児マヒにかかつた.はじめ両足両手がぶらぶらになつてしまつたが,治療の結果両足が治つて手にだけマヒが残つた.左手がヒジから前へまがつたきりで,右手もかなり不自由である.身の回りの事は右手と口と足を使つてするのだが,自分で髪をとく事も決して楽な仕事ではない.長谷川さんの人生はこの状態から出発した.すでに物心ついた彼女が,病気が治つて社会に出た時,つまり不具として出発した時,社会は決して今までのように明るいものではなかつた.病気が恨しく又自分を病気にした両親が恨めしかつた.「どうして私ばかりがこんなにみつともなく……」と彼女は泣きながら幾度も幾度も思つた.一番辛かつたのが女学校の3年頃であり,美醜に敏感な年令が,彼女の心を苦しめたのだつた.この頃は全く親を恨む事しきりだつた.救世軍の山村甲平中将の講話を聞いて心を動かされたのは丁度その頃であつた.飛びつくように救世軍の小隊に入つた.やがて女学校を出でから,救世軍の日曜会で盲人の子供を教えるようになつた.次に盲人の牧師のヘルパーとして5年位を過すことになり,いつか盲人の社会福祉への道を歩みはじめたのだつた.「私はこうして人の事ばかり心配している中に自身の不具の事を忘れました.
Copyright © 1957, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.