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医学部を卒業してすぐ,母校のリハビリテーション科に入局し,温泉街の50床の病院で研修医を始めました.土曜日の病棟で仕事がひと段落つくと「コミュニケーションに行ってきます」と,元気よくナースステーションから出ていく看護師さんたちがいました.何事だろうと思ってよく聞いてみると,なんのことはない,部屋で患者さんとひたすら世間話をしているだけでした.しかし,彼女らから家族の状況や患者さんの気持ちや本音を教えてもらい,そういうことの積み重ねが大事だと知りました.高齢の身内がパーキンソン病で,4人部屋に入院した時には,固縮が著明で声も小さくなっていましたが,本人自身が入院当日のうちに,他の3人の患者さんの出身地,家族のこと,子供がどこで働いているかまで,詳細に聞き取っていたのには驚きました.患者さん同士が強力なネットワークをもっており,そのようなものに支えられていることを知りました.また,当時カルテは医師,看護師が同じページに記入する形式でしたので,患者の見方が甘いと,ベテラン看護師から多くの注意点を書き込まれることになりました.リハビリテーションセンターになって数年の時期で,患者のことを理解して,病院全体で良いリハビリテーションを行っていこうとする熱気の中に入れてもらった感じでした.
当時,理学療法士や作業療法士は少なく,時間があったらリハビリテーション室で患者の訓練をするよう教えられました.手足の麻痺,痙縮,歩行などの評価,訓練法を根気よく指導してもらい,毎日,訓練することで麻痺や痙縮の変化を感じ取ることができました.言語聴覚士はいなかったため,失語症の言語療法は主治医が行いました.嚥下障害の患者さんが増えてきたときは,教科書を熟読して嚥下造影検査を始めました.仲間や上司が,機能障害や能力障害に対して,いろいろな工夫をしており,できるはずのことをやっていないと,回診で厳しく指摘されました.山間部の病院で,町の総合病院まで遠いという事情もありましたが,ここでできることはなんでもやろうという姿勢が貫かれていたと思います.まだリハビリテーション科医師が少ないころで,外勤先で,リハビリテーション科は何をしているのかさっぱりわからないと他科の医師から言われたこともありました.しかし,麻痺や痙縮や嚥下障害に関する相談など,自分ができることをなんでもやろうという姿勢でいると,自然にまわりの人々と仕事がしやすくなりました.
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