新たな50年に向けて いま伝えたいこと・第10回
中屋久長
pp.71-75
発行日 2015年1月15日
Published Date 2015/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551200100
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私は医師をしていた2人のおじの影響で医学部を受験したのですがうまくいかず,高校卒業後,予備校に通うために上京しました.しかしいざ東京に行ってみると高度経済成長のまっただなかだったんですね.経済活動への興味が高まり,経理専門学校に1年間通い,親戚の経営していた地元の企業に就職しました.
経理,営業,製造と8年ほど勤務したでしょうか.1967年の年末に,「高知リハビリテーション学院(以下,学院)が開校する」という新聞記事をみつけました.その数年前に,いろいろな職業を紹介する雑誌で理学療法士の存在を知り興味を持っていたこともあり,さっそく入学案内を取り寄せました.県内唯一のリハビリテーション施設であった白菊園(野崎病院)の信原克哉先生(現・信原病院)にも相談に行きました.信原先生は,神戸大学整形外科教室から出向中で,学院の教授予定者でもありました.先生からリハビリテーションや理学療法について丁寧な説明を受けるうちに心が決まり,入学試験を受けることにしたのです.
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