新たな50年に向けて いま伝えたいこと・第8回
野々垣嘉男
pp.1045-1049
発行日 2014年11月15日
Published Date 2014/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551200041
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私は幼少期にかかった麻疹の後遺症により,小学6年生ぐらいまで角膜にアレルギー性炎症が出て,春と秋になると眼が真っ赤に充血して大変苦労しました.その診療のために通院していた名古屋第一赤十字病院でいろいろな患者さんを見る機会があり,将来,私にも何か手助けできる仕事があるのではないかと興味を持ちました.医師や看護師にお世話になったことで少しでも恩返ししたいという気持ちが生まれ,それがまず医療との出会いであったと思います.
その後,視力が十分に回復しなかったこともあり,高等学校専攻科(理療科)に進学しました.卒業後は,名古屋大学医学部附属病院整形外科・理療科で約10か月間研修し,社会保険中京病院に整形外科医長として勤務していた医師から「病院を継ぐことになり,整形外科を開設するので手伝ってください」と言われ,3年間,愛知県豊川市にある宮地病院に勤務しました.理療科に所属し,朝から夜間まで外来・入院患者の理療をはじめ,緊急患者の対応やX線撮影,徒手整復・ギプス固定,手術助手などを経験し,ご指導いただきました.多くのことを学んだ貴重な3年間を経て,1961年4月に名古屋市立大学医学部附属病院整形外科・理療科に移りました.
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