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筆者が心エコー図を始めた頃(昭和40年代)は,わが国に心エコー図検査技師は存在しませんでした.当時は心音図・心機図の記録も盛んに行われていましたが,医師が記録・診断を担当し,心エコー図や心音図の現像を臨床検査技師の皆さんが担当していました.初期の心エコー図はMモードで,心音図や心機図もすべて撮影・現像式でした.すなわち,当時心エコー図・心音図の便利屋として臨床検査技師の皆さんが使われていました.しかし,わが国のすべての病院でそうであったので,誰も疑問に思う人はありませんでした.
1974年,神戸市立中央市民病院から面白半分に米国の二つの学会に演題を応募しました.一つの学会はあの有名な米国循環器学会(American Heart Association,AHA)で,こんな学会に応募しても当然無理であろうと思っておりました.演題は「ultrasonic diagnosis of ventricular aneurysm」で,当時心拍同期の手動操作型の断層装置を使って記録したものです.現在,心尖部アプローチと簡単に言いますが,当時は心尖部から超音波を投入するというアイデアは存在しませんでした.当時の普通のウィンドウであった左第3~4肋間からアプローチしても心室瘤が全く描出できないのに,心室瘤例でよく触知される異常拍動(多くは心尖部)からアプローチすると心室瘤が画像として現れてきました.新鮮な驚きでしたが,それがAHA審査委員にも届いたのか“採用”の知らせが届きました.最初の学会はシアトルでの米国超音波医学会(AHAはダラス)でしたので二つの学会の間の3か月の間米国の病院で研修することになりました.米国の学会の盛況ぶりや質の高さ,展示場の立派さには驚きの連続でした.大きな感動を受けました.
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