ひろば
技術の誠心
村田 徳治郎
1
1慈生会ベトレヘムの園病院検査科
pp.319
発行日 1969年4月15日
Published Date 1969/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542906389
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学校卒業したては一応基礎ができているので,なにごともヤッテヤロウという意気込みがあるもので,またこのころは実行力と勉強もよく一致しているので,おもしろいことが一ぱいで時間の経過もさほど苦にならないばかりか,むしろ日の短かきをなげくこともあるほど意欲があるものである.だが,5年,10年となるとたいていのことに驚くこともなし,また現時点における内容では根本的に新しいというものも比較的少ないし,関係のないことが多いので,経験でおしとおして勉強を怠りがちになる時期でもある.この時期において怠りや面倒という習慣を身につけてしまうと,なかなか矯正が困難である.5-10年というと臨床検査室でいえば主任・係長クラスであろうが,この層がマンネリズム化すると検査項目,内容,開発すべきことなど,海外の文献の検討が検査室単位でできなくなるばかりでなく,個々の技術を一定の水準に保つこともむずかしい.このような雰囲気・環境は,これから精一ぱいのびようとする若木を枯してしまうであろう.
これは技術に対する冒涜もはなはだしい大罪であろう."なにごとも成せば成る,成さねば成らぬ"のたとえのように,臨床検査という技術業務につく者は,特にその指導者である者は,そこらの顔役チンピラのごとく面子にとらわれるような精神ではその役はつとまるまい.
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