コーヒーブレイク
結核菌培地と卵の盗み食い
寺田 秀夫
1,2
1聖路加国際病院内科
2昭和大学内科
pp.794
発行日 2000年7月15日
Published Date 2000/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542904443
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ようやく春になり,各地から桜の満開の便りが聞かれ,また4月の新年度に入り,街には真新しい制服姿の中学生やぎこちない背広姿の新入社員が多く見かけられるようになった.いつもこの季節になると思い出すのは,結核病棟のあちらこちらで喀血する患者の処置に追われたころのことである.処置と言っても止血剤の静注と喀血した病巣のある側の胸に重い砂袋を載せて,少しでも呼吸による肺の運動を最小限に保とうとする試み,また大喀血に対しては全血の枕元輸血などが精一杯の治療であった.
終戦後10年足らずの当時の日本では,結核は国民病の第一位を占め,食料事情も悪く耐乏生活を国民がまだ強いられていた時代である.特に春と秋が結核の発病や増悪の多い季節であった.自分が入局した内科教室では結核が主要な研究・治療テーマであったから,私ども医師は1人で常時10~15名の結核患者を受け持ち,外来では人工気胸,人工気腹に多忙な日々を送っていた.そのころ人工気胸の治療中に膿胸を合併し幸いにも治療した人のなかに,数十年も経過した近年になって,膿胸後悪性リンパ腫が発生していることが知られ,EBウイルスの関連性が注目され予後不良の病気とされている.
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