新 病院建築・61
東京逓信病院の設計
野々村 俊夫
1
Toshio NONOMURA
1
1郵政大臣官房建築部
pp.65-71
発行日 1983年1月1日
Published Date 1983/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207932
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建設の経緯
旧東京逓信病院は逓信省技師山田守の設計によるもので,日本近代建築史上,合理主義建築を代表する名建築と言われた.この病院は昭和12年8月に完成し,翌年2月に診療を開始している.当時としては斬新な中央化をはかった手術・中央材料部門に欧来の最新の医療機器を揃え,高度に整備された病院として,高い評価を得たものであった.この病院は日本近代建築史上に確固とした位置を占めるのみならず,病院建築の歴史という観点から見てもパビリオン式ブロック・タイプの病院建築の最右翼に位置するものと言われ,一つのエポックを画したものと言うことができる.しかし半世紀にわたって名作の名をほしいままにして来たこの病院も,近年に至って益々多様化する医療供給体制によって,老朽狭隘化し,近年の医療技術の格段の進歩,機能の変化に対応しきれなくなり,抜本的改善への社会的要請に応えざるを得なくなった.このため昭和41年郵政省内に東京逓信病院拡張計画協議会が設置され,本格的な建設計画へのスタートが切られた.
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