グラフ
大阪南部のニュータウンを背景にオープン—近畿大学医学部付属病院
pp.13-19
発行日 1975年12月1日
Published Date 1975/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205767
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地域住民との密着を考慮
大阪の南30kmのところに金剛山がある.その山麓に狭山ニュータウン,泉北(せんぷく)ニュータウンと,大阪の南のベッドタウンとして急速に発展しつつある地域がある.昭和50年5月1日,近畿大学医学部付属病院がこの地に開院した.大阪府内の医科大学は,いずれも大阪府の北部に存在しており,南部では唯一の医科大学病院として,しかもニュータウンを背景として,11階建のくるみ色の外装をもった病院が忽然と姿を表わしたのである.
近畿大学の医学部は,十数年前から計画されたものと言われているが,新しい医科大学にふさわしい,新しい酒を入れる革袋としての病院として,いくつかの工夫がなされている.近畿大学総長で医師でもある世耕総長は,海抜1000mほどの山の上に病院を作りたい,葛城山か金剛山の項上ではどうかという気宇壮大なねらいがあったそうであるが,なだらかな丘の上に幾つかの池を回りにもつ.ごみごみした中にある大学病院を見なれた眼には極めてすぐれた環境にある病院である.
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