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院長日誌
佐藤 幹夫
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1岐阜県中津川市民病院
pp.76
発行日 1974年6月1日
Published Date 1974/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205379
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産婦人科閉鎖
当直の夜,思いがけなくM医師より電話がかかった.M医師は岐阜市内で産婦人科を開業しており,病院の元産婦人科部長である.昔に変わらぬ早口で,市民病院で産婦人科医師を探しているのを新聞で読んだが赴任の医師はあったかとの問い.現在見込みは全くないと答えると,M医師は開業をやめるつもりでいるが,もう一度,中津川で勤めさせてもらってもいいかとのこと.今まで産婦人科医師探しで苦労の連続だった私には,あまり降って湧いたような話にはじあは本当かと耳を疑った.話を確かめ,そうしていただければ全くありがたい.是非お願い致したいと返事をし,その後の打ち合わせを約して電話を終わった.
昭和47年になってから,名市大産婦人科は中央沿線のジッツ病院から産婦人科医師を順次引揚げていた.早晩予想していたことを47年11月医局長より連絡され,48年1月に産婦人科を閉鎖してから6か月ぶりの朗報であった.
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