病院史のひとこま
輸血技術の導入—院内血液銀行について
村上 省三
1
1東京女子医大輸血部
pp.85
発行日 1973年9月1日
Published Date 1973/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205108
- 有料閲覧
- 文献概要
民間血液銀行の開設
昭和23年東大分院におきた輸血梅毒事件の結果,当時のGHQは日本政府に対して,善後策として,保存血液を取り扱う血液銀行を作ることを示唆してきた.そのため厚生省は昭和24年5月,都・日赤・学識経験者を加えて打ち合わせ会を開き,将来日赤が血液事業を行なうことを決定した.その結果,加藤勝治先生が日赤の嘱託としてアメリカ各地を回って血液事業を視察して帰られた.しかし当時のわが国の工業のレベルでは,信頼するに足る血液保存用冷蔵庫もないし,もろもろの採血器具にしても,乾燥血漿作成用としてやっと作り出された程度で,はたして長期の保存に耐える品質であるか心もとないので,日赤としてもすぐ着手するだけの自信がなかった.
とかくするうち朝鮮における戦争も下火となり,ある程度半島における需要を意識して作られていた民間の‘乾燥血漿を製造する’目的で作られていた製薬会社がその施設の血液銀行への転換を考えはじめた.昭和26年のことである.同じ年には米海軍の関係者の援助により横須賀市立病院内に血液銀行がつくられた.これは厚生省のライセンスもとり,広く血液を他病院にも供給しうる資格をもったものであった.
Copyright © 1973, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.