病院の広場
国際病院連盟と日本の役割
橋本 寛敏
1
1聖路加国際病院
pp.14-15
発行日 1965年9月1日
Published Date 1965/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541202655
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日本病院協会が国際病院連盟に加入したのは1956年であって,荘さんが外遊の折にロンドンの連盟事務所に事務総長のストーンを訪ねて,こちらの連盟加入の布望を述べたところが,「日本はアジアの灯台であるから是非連盟に加わって欲しい」と歓迎されたということである。
その年の夏,上条秀介君が亡くなったので,私が日本病院協会長に選ばれたが,その年の暮れ,米国病院協会からクロスビーが日本の厚生省に招かれて来朝し,日本の病院を視察して,その改善策について勧告した。私は日本病院協会長として彼を迎えて応待し,日本の病院事業を刷新するについて彼と懇談を重ねた。その翌年,1957年には,ジェネバに開かれるWHOの保健大会に日本代表顧問として出席し,討議に加わり,さらに厚生省の医療保障制度委員会の一員として葛西委員とともに英国の国営医療制度の視察もした。その年の夏には,折よく国際病院連盟の年次大会がポルトガルのリスボンに開かれたので,それにも神崎,永沢(日大)の両君とともに日本代表者として出席して,世界の病院事業担当者と友好関係を結んだ。
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