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精神病院の非常事態に備えて
関根 眞一
1
1国立武藏療養所
pp.2-5
発行日 1955年11月1日
Published Date 1955/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201023
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故堅田五郞博士の書かれた「日本に於ける精神病学の日乗」のなかから,明治,大正から昭和4年に亘る間の精神病院の災禍だけをひろつて見ても,精神病院の少かつたその当時でも14件も数えられ,大体5年毎に病院が火災に見舞われていたことになるが,近年精神病院の増加と共にその火災の率が殖えたことは寒心に堪えないのである。樫田博士の調査の内で最も悲惨なのは,明治35年4月の京都船岡情神病院の火災で,60名の収容患者の内17名の焼死者を出したことは,今日までの犠牲者の率から見れば最高とも云えるのである。失火の原因の内で患者の放火によるものが2件ある。中でも大正10年1月函館区立精神病院で2日前に入院した患者が,隠し持つたマツチで放火して逃走を企てたが,その患者を阻止しようとした看護人の小指を噛み切つて逃走した珍らしい事件もある。その後昭和5年以降は確実な調査資料が得られないが,私の記憶だけでも相当数に昇つている。そのうち焼死者を出したものもかなりの件数である。
かように精神病院の火災は危険が伴うことが多いので,ややもすると人命の犠牲者を出すことになるが,かかる惨事は絶対にあつてはならぬのである。
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