扉
俳人中田みづほ
田中 隆一
pp.909-910
発行日 1982年9月10日
Published Date 1982/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436201558
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日本の脳神経外科の草分けである中田瑞穂先生(1893-1975)の七回忌にあたる1981年夏,先生と親交のあった人達が集まって「中田先生を偲ぶ会」がもたれた.あらゆる虚飾を嫌い,質素であることを常とされた先生のご遺志を汲んで,わずかばかりの清楚な花が添えられた先生のこ遺影を囲んで,会は和やかなうちに進められた.多くの人により,先生の思い出が語られ,先生を心から慕い,尊敬してやまぬという心情が吐露されるのを聞き,直接には先生のご指導を受けなかった私も,深い感銘を受けた.
ところで,会場には医学関係者以外に,やはり先生を師として慕う新潟近郷の俳人達のグループもみられた.中田先生が絵を画かれ,特にその静物画は玄人はだしであったことはよく知られているが,俳句に関しては,高浜虚子の優れた門下生であったということ以外は,一般にはあまり知られていないように思われる.絵のほうは,特定の人に師事したり人に教えるということはなく,"みづほ流"とでもいうべき独特の画風をつくり上げたのに対して,俳句のほうは,虚子門下の逸材として活躍し,多くの俳人を育てている.今回私は,関係者の話や二三の文献から,俳人中田みづほに関する興味ある事実を知ることができたのでそれを紹介し,「扉」の責を免れたいと思う.
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