扉
"扉を叩く"
中村 紀夫
1
1東京慈恵会医科大学脳神経外科
pp.723-724
発行日 1974年12月10日
Published Date 1974/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436200239
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その昔中国は魏帝の時代,玄海灘を渡って少なからぬ倭人達が中国と交易した.彼等の舟は人力に頼って漕ぎ進む粗末な木造船であったが,その貧弱な船出も海の彼岸にある中国の宝庫に胸をわくわくさせている倭人にとっては,単に欲に目のくらんだ無謀ではなく,自らをためす試練であり,必死の壮挙であったろう.事実渡航に成功すれば,彼等にとって目のくらむような文化と栄華の都を目にすることが出来たし,金銀財宝を持ち帰ることも出来た.ところがこの木造船のへさきには持衰(じさい)と呼ばれる一人の男が航海の間中坐っていた.彼は風雨にふきさらされ波のしぶきにも耐え,衣服は遂にはぼろ布の如くなり,髪はぼうぼうで垢まみれになったというからすさまじい.彼は航海に成功すれば報酬をもらえるが,海が荒れると海中に投げこまれてしまう.そこには試練におもむく倭人達の,息苦しいまでもの心意気がシンボライズされているようである.
シンボルというものは,多数の人々を共通の意志と目的に統合するのには都合が良い.例えば日本脳神経外科学会のシンボルマークの如く.ところがこのシンボルがそれによって個人の信用獲得手段となると,物事は率直でなくなる.
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