- 有料閲覧
- 文献概要
冒頭にお断りしますが,以下は,一脳神経外科医の戯言としてお読みいただければ幸いです.
無常とは虚無ではなく,物事が成長するプラスの面を見ることである.“‥無常というと日本人は『平家物語』の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響あり」を思い出す.‥「人生の短いことをはかなむ」といった意味でとられがちだが,仏教の経典に出てくる「無常」は少し意味が違うようだ.‥無常というのはブッダの教えそのものであるが,日本では今,非常にセンチメンタルでマイナス的なものとして,とらえられてきている.‥これは無常を感情や情緒として感受するためであろう.‥感情的にとらえると,どうしても虚無的になりやすいが,それはいうなれば「無常感」と表現すべきものであろう.‥ブッダの説く無常はそうではなくて「無常観」.すべて存在するものは絶えず移り変わっていると観察する人生観であり世界観なのである.‥経典では,人間が「生あるものは必ず死ぬ」という赤裸々な事実や現実をそのまま受け入れたとき,そこにある種の深い感動が生まれ,それが感嘆と化す.‥それが「無常」だといっている.‥つまり,「無常に基づく苦」というのは「生あるものは必ず死ぬ」という事実そのものを指しているといっていいでしょうか.”このような文章をどこかでみかけ,学生時代に難解でどうにも理解できなかった小林秀雄さんの「無常という事」を思い出した.高校生には,理解の限界を超えた文章であるが,当時の教官に奨められた本の1つである.常なるものではなく,常ならぬものへの理解を,作者である小林秀雄さんは,感じるがままに解いてくれるのであるが,理解できなかった.人は生きている間は動物で,死ぬことにより本来の人になるのだというのだ.歴史に関しても,過去にいた人の行ったことを感じるのではなく,過去の時点にさかのぼり感情を共有することが本来の歴史感なのだそうだ.モーツァルトにしても源実朝にしても,悲しいまでの美を残したことは常ならぬものを生み出したことが評価されているのだと言うのだ.さらには,このような天才にしても,凡人と同様の苦しみや,悲しみを乗り越えて生きて来たのである.そして,無常ということを知るに至って,この世から姿を消したのだというのだ.ただし,末永く人の脳裏に焼き付き未来永劫見聞され親しまれることになる.
Copyright © 2013, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.