談話室
眼鏡随想/アフリカのクリスマス(シュバイツァー病院にて)
高橋 功
1
1アフリカ・ランバレネ・シュバイツァー病院
pp.682-683
発行日 1961年5月15日
Published Date 1961/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410207251
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1958年10月,日本をたつとき,私は老眼に気がつかなかつた。ところがベルリンについて,アテネの音楽学校エグメツオグラウ教授とギター二重奏の練習をする後になつて,にわかに老眼に気がついた。思えばすでに50歳になつているのだから,前もつてそれを考えていなかつたのはうかつなことだつた。ベルリンの3週間は不自由ながら老眼鏡なしですませた。ウィーンで老眼鏡を調製してもらうつもりで,大きな眼鏡店にいつたところが,1週間待つてもらわないとできないとのことだし,それではギュンスバッハを訪ねる予定に間に合わなくなるので,とうとう果たさなかつた。ギュンスバッハのシュワイツァー邸では,ビザの入手に手間どつて18日も長逗留し,その間シュトラスブルグやコルマールなどの都市に出かけたが,老眼鏡を求める時がなく,パリでもその暇がなく,ランバレネまでやつてきた。
ランバレネでは到着早々,診察や手術の際,老眼鏡がないために不自由し,こまりぬいた。留守宅に連絡し,仙台のA眼鏡店で調製させて送つてきたが,それが私の計算ちがいのせいかどうも合わない。シュワイツァー博士は,シュトラスブルクに知合の眼鏡店があるから,そこに註文して作らせようといつて下さつた。しかし眼鏡処方の様式など日本とちがつて面倒なので,それはおことわりして,又仙台に折返えし,前掛け式のごく簡単な出来合を註文したら,幸いそれが合い,近眼鏡の前に必要に応じてそれを掛け,用が足せるようになつた。
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