べらどんな
盗作
GEN
pp.2147
発行日 2007年12月15日
Published Date 2007/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410102096
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『解体新書』は1774年に杉田玄白らが翻訳出版した。玄白は58歳のときに生まれた杉田立卿(りっけい)に西洋眼科を修めることを命じた。
眼科の教科書として,プレンキ(Joseph Jacob Plenck,1733-1807)が『眼病論』Doctrina de Morbis Oculorumを書き,1777年にウィーンで出版した。挿絵こそないが,234ページもある立派な本である。改訂第2版が1783年に出版され,その4年後にオランダ語版が刊行された。
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