ヒューマンバイオロジー--臨床への展開 体外受精
体験を語る
幾多の壁を乗り越えて
飯塚 理八
1
,
飯田 悦郎
2
,
杉山 武
2
Rihachi Iizuka
1
,
Etsuro Iida
2
,
Takeshi Sugiyama
2
1慶応義塾大学医学部産婦人科学教室
2荻窪病院産婦人科
pp.800-801
発行日 1985年10月10日
Published Date 1985/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409207261
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1982年11月,飯塚理八を会長として日本受精着床学会が創立され,その後体外受精・胚移植(以下IVF-ER)の研究と臨床応用は,ヒト誕生のメカニズムを探究し,社会的,法的,倫理的コンセンサスから逸脱しないよう厳しい自主規制のもとに各研究機関が協力して急速の成果を挙げつつある1)。
慶応大学においてもそれまで進められていた基礎研究2,3)をもとに,1983年初頭より荻窪病院および東京歯科大学市川病院の2施設において臨床応用を始めました。当初は,新分野開拓には当然のことですが,手法はもちろん,器具施設も全く白紙に近い状況からスタートしたので,それこそ寝食を忘れたといっても過言でない暗中模索,試行錯誤の毎日が何カ月と続きました。本稿では手法確立のための苦心以前の問題で直面した難問,すなわちIVF-ERの知識が全くない環境において1つ1つ壁にあたりながらその体制造りをした苦心談を記します。
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