連載 病院めぐり
―富士重工業健康保険組合―総合太田病院
眞田 利男
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1富士重工業健康保険組合 総合太田病院
pp.186
発行日 2009年2月10日
Published Date 2009/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409101968
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富士重工業健康保険組合総合太田病院の前身は,中島知久平が大正6年5月に,尾島町に中島飛行機株式会社(当初,中島飛行機研究所と称す)を創設したことに由来します.昭和13年11月,太田製作所の敷地内に太田製作所附属太田病院を開設しましたが,終戦とともに一時消滅しました.
戦後,昭和21年1月10日,新たに太田市八幡寮の一棟で富士産業健康保険組合太田病院が発足しました.診療科目は内科,外科,産婦人科,歯科の4科で,入院定員は68名でした.その後,各科が増設され,462床にまで増床され分娩も年間900件を超えるようになりました.病院も景気がよく,平成2年には当院から米国のスバル工場に病院負担で医師派遣まで行ったときがありました.しかし,医師不足により現在は445床まで減少し,内科病棟は2棟のうち1棟を閉鎖,NICU病棟の小児科への吸収・縮小化を行い,16床あったNICUの病床が4床にまで減少しました.分娩も一時中止となってしまいました.婦人科は外部よりパート医の手伝いもあり,月,木,金曜日の手術日に腹腔鏡,子宮鏡,開腹,経腟手術を月に20例ほど行っています.
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