書評
『ナラティブ・メディスン―物語能力が医療を変える』
江口 重幸
1
1東京武蔵野病院精神医学
pp.165
発行日 2012年2月25日
Published Date 2012/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408102256
- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
臨床の前線で日々働く医療者にとって,医療と文学を結びつける発想や,病いや苦悩は語りであるとする言説などは,およそ悠長で傍観者的見解と思われるかもしれない.臨床場面は死や不慮の事故などのハードな現実と皮接しているからだ.実際そのような感想を面と向かって言われたことも何度かある.しかし,例えば狭義の医学的な枠組みから外れた慢性的病いを抱えて毎日やりくりしながら生活する患者や家族,あるいは彼らを支えケアする人たちを考えていただきたい.彼らが科学的な根拠のみを「糧」にしているのではないのは明らかであろう.病いを抱えながら,苦悩や生きにくさを日々の生きる力に変換していく根源の部分で「物語」が大きな役割を果たしているのである.
患者や家族の経験にさらに近づくために,こうした「語り」に注目したアプローチが医療やケア領域に本格的に現れるようになったのは,1980年代からである.本書はその最前線からもたらされた最良の贈り物である.医師でもあり文学者でもある著者のリタ・シャロンは,さまざまな文学作品や人文科学の概念を駆使しながら「物語能力(narrative competence)」の重要さを説く.それは医療者が患者に適切に説明したり,事例検討の場で上手にプレゼンしたりする能力のことではない.病いや苦しみや医療にはそれらがストーリー化されているという本性があり,その部分にどれだけ注意を払い,正確に把握し,具体的に対処できるかという能力のことである.それに向けて著者が長年心を砕き,文学作品や「パラレルチャート」を含む多様な臨床教材を使用しながら医学教育の場でも教えてきた成果のすべてが,惜しげもなくここに示されている.
Copyright © 2012, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.