メディカルエッセー 『航跡』・31
米国大学病院で外科教授になる過程(1)
木村 健
1
1アイオワ大学医学部外科
pp.494-495
発行日 1999年4月20日
Published Date 1999/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407903582
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米国の研修医にとって,11月から2月半ばにかけての間は就職運動もしくは専門分野のフェローシップ獲得のための準備期間である.5年の研修期間が終わって一人前の一般外科医としての資格が得られると大学病院のスタッフとしてアカデミック医学に進むか,開業医のグループに入って地域医療に貢献するか,選ぶ途は二つに一つである.日本でいう病院勤務医という選択肢は米国には存在しない.その理由は医・院分業であるからだ.研修医のサラリーは病院から支給されるが,スタッフ外科医は手術毎に自分の決めた技術料を請求し,その総額からオフィスの家賃,光然費,人件費などを差し引いた残りを取得する.手術料は外科医によって請求する額が違う.また年間に行う件数にも個人差がある.独立独歩の外科医を病院が月給で丸抱えすることはできない.すなわち,医師と病院の財政が分離しているので,わたしはこれを医・院分業と呼んでいる.ニッポンでは手術に関わるモノも技もひとまとめの経費として病院が保険機関に請求し,その中から一定の規定に従って医師にサラリーを支給する.ひとりで何百例もの手術をする人と数十例にとどまる人が同じサラリーでは不公平なのではないか.何百例も手がける人はより多くの収入があって当然だろう.この間題を解決するのがインセンティブプラン(実利案)である.病院に代わって各科が医師の収入をプールし,これを働きに応じて分配するという方法である.
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