メディカルエッセー 『航跡』・29
クリティカルパス—究極のコストパーフォーマンス
木村 健
1
1アイオワ大学医学部外科
pp.216-217
発行日 1999年2月20日
Published Date 1999/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407903527
- 有料閲覧
- 文献概要
アメリカの病院が外国の医学部卒業生に対して卒後臨床研修の門戸を狭めて久しい.1950年代までは日本の医学部卒業証書を持っているだけで,米国での臨床研修医に採用された時代もあった.ECFMGと呼ばれる外国医学部卒業生に対する資格試験が制度として発足してから40年ほどしか経っていない.ECFMGは最近はFLEXと言う連邦医師免許試験に替わった.しばらくの間医師国家試験(NBE)とFLEXの二本建ての時代が続いたが,今はまた別の制度が出来て,外国の医学部卒業生がアメリカで卒後研修をするのは一段と困難になった.この背景にはアメリカ国民の就職機会を護るという連邦政府の政治的配慮が働いている.医師不足が深刻であった1960年代には若い労働力として外国の医学部卒業生は米国各病院で歓迎されたのであるが,全米で110校を超える医学部から毎年1万人以上の卒業生が吐き出される今,医師過剰の時代となり,外国医学部卒業生は職場の競争相手として歓迎されぬ存在となった.
1950年から60年代にかけ,アメリカの病院で臨床研修を終えた方々が帰国されたあと,日本の医療の発展に寄与されたことは厳然たる事実である.ところが,1970〜80年代になって,前述の理由により,米国で臨床経験のあるニッポンの臨床医は激減した.日米の臨床医学における交流は途絶したと言ってもよい.
Copyright © 1999, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.