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Gösta Rylander教授のプロフィール
広瀬 貞雄
1
1東京都立松沢病院
1Matsuzawa Mental Hospital, Tokyo
pp.123-126
発行日 1957年2月1日
Published Date 1957/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406200547
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1956年3月22日の午後1時少し前,私は第一ホテルのロビーで,周囲を動き廻る外国人達の中から私がこれから会見しようとする人物を見付け出そうとしていた。約束の1時,私がフロントの前に立つと後ろ向きの6尺をはるかに越えた長身の制服姿が振り向いた。私は直観的にこの人だと思つたので近寄つてみると,左上膊の外側のところにSWEDENと刺繍がある。私がAre you Dr. Rylander?と問うのと,先方がDr. Hirose?と口を切るのと殆んど同時であつたように思う。2人はそこで初対面の感激的な握手を交したのである。飴色の髪,物柔らかな眼差し,どつしりと落ちついたこの精神医学者は,挨拶を交すと腰を下す暇も与えず,早速,『si—ghtseeingに出かけよう』といつて私を驚かせた。この驚くべき旺盛なエネルギーは,その後の10回を越える会見の都度感心させられたが,彼の過去の業績もさこそと偲ばれた。
Rylander教授との女通は,1952年私が小著『ロボトミー』を送つた時にはじまるが,思いがけなくも本年1月の便りに,3月から4ヵ月余り,朝鮮にあるSwedishRed Cross HospitalのCommanding Officerとして赴任する道すがら東京へ立寄る旨の書簡を頂いた。
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