巻頭言
東西交感
藍澤 鎮雄
1
1聖マリアンナ医科大学神経精神科
pp.228-229
発行日 1997年3月15日
Published Date 1997/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405904283
- 有料閲覧
- 文献概要
すでに旧聞に属するが,イギリスの女流ジャーナリスト,ヴィッキー・マッケンジーの『チベット奇跡の転生』という不思議な本を読んだことがある。中国のチベット侵攻で,ダライ・ラマをはじめとして多くのラマたちが国外に亡命したが,その一人ラマ・イエシがなんとスペイン生まれの碧眼の幼児オセルに転生するというショッキングなドキュメンタリーである。チベット仏教は何も東洋的な形にとらわれず,西欧は西欧なりの仏陀を産めばよい,という生前のラマ・イエシの信念を象徴するような転生であるが,興味深かったのは,ラマ・イエシが創設した瞑想センターが欧米へ広がっていく経緯である。ラマ・イエシが最初の瞑想センターを開いたのはカトマンズ郊外のコパン僧院で,まず集まってきたのは放浪,ドラッグ,自殺未遂などの前歴を持つヒッピーたちであった。修行コース(ラム・リム)は30日間,朝4時半起床で,途中に粗末な食事とティー・タイム,チベット仏教の授業やグループ討論を挟みながら,夜9時の就寝まで瞑想テントにこもる。集中内観より徹底している。
このカトマンズから実生活に戻ったヒッピーたちが欧米各地に次々と瞑想センターを建設していき,ラマ・イエシの死後5年目ですでに50か所に達した。常住のチベット・ラマの指導の下に長期コースや短期の黙想訓練のメニューが用意されており,人々は仕事を終えて,あるいは週末にセンターを訪れる。マッケンジー女史もカトマンズ以来,暇をみつけてはロンドン郊外の瞑想センターへ出掛け,日常生活にもチベット仏教哲学を取り入れている。このへんは日常内観に似ている。
Copyright © 1997, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.