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大会前の緊急運営委員会で学術発表をやめるかどうするかということが論じられたとき,わたくしは,一日は討論集会をやって,残りの一日は学術集会を行なうことを主張した。わたくしの意見に,あれもこれもやるという姿勢が若い人たちから何を意味するのかと問われているのだとご忠告して下さる方があった。しかし,今でも,一つ一つの学術発表が医療危機の現状況とどのような関連をもつものか,臨床の場とどのような緊密な関係をもつものか,学術研究の内容を通して論じられたら,若い人たちがいう〈第2グループ〉の人たちの学問がどのような精神医学を指向しているか,もっと浮き彫りにされたと思う。
わたくし自身は,〈なおすこと〉を心がけて研究をすすめてきた。しかし一般論として,必ずしも,今すぐに役立つ研究でないと研究に値しないとは思わない。精神医学の発展の歴史を繙いてみよう。第1期は病者を神の呪われ人,あるいは罪人として手枷,足枷した時期である。第2期は記載精神医学の時代である。診断に熱中して治療法が見出されなかった時期である。診断はついてもなおせないとき,医師はその責任を病者の素質に求めてしまう。ナチスの命に協力してガス室に送ろうとしたドイツ精神医学者の悲劇はそう古いことではない。記載精神医学万能の時期には,精神分析は〈密室の遊戯〉として精神医学の主流から遠ざけられていた。しかし,病者を変質者の座から,正常者の延長線上に存在するものとして理解する道を拓いたのは,学問に値しないといわれてきた精神分析そのものであった。こうして,治療学としての精神医学がはじめて誕生したのである。このように考えると学問は今すぐ役に立つかどうかのみで価値を論ずべきものではない。しかし,それが国民の健康を守る精神医学のなかでどのような位置を占めようとしているものかは常に問われつづけられねばならない。
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