動き
日本精神病理・精神療法学会第1回大会を顧みて
足立 博
1
1順天堂大学精神科
pp.386-387
発行日 1965年4月15日
Published Date 1965/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405200844
- 有料閲覧
- 文献概要
日本精神病理・精神療法学会の第1回大会は,昨秋11月9,10両日,東京信濃町束医健保会館で開催された。この学会の意味するものの深さ,その使命の大きさを考えるとき,ここにいたるまでの学会設立の経緯にふれないわけにはいかない。
精神療法学会設立の機運が村上仁,井村恒郎,諏訪望,懸田克躬,島崎敏樹,桜井図南男らの諸教授の間で実際に具体化してきたのは昭和38年暮ごろからである。特筆すべきことであるが,当時は精神病理・精神療法学会という名のものではなく,純粋に精神療法の学会をつくろうとされていたのである。当時の記録によると「少人数でいい,むしろ小さな学会のほうがいい精神医学を学んだ人たちのなかで,実際に精神療法をまじめにやつている人たちが十分に話しあえる学会がほしい。それは純粋で質の高いものでなくてはならない」というのが一致した意見であった。そしてこのような学会は若い精神科医の努力によつて生まれねばならぬという機運がたかまってきた。土居健郎,石川清,加藤清,笠原嘉,小此木啓吾,西園昌久,高臣武史,畑下一男,藤田千尋,荻野恒一,阪本健二,藤縄昭,辻悟,宮本忠雄らがさきの諸教授と京都,東京でいくたびか談合した。日本精神神経学会や日本分析学会との関係も論じられた。精神病理・精神療法学会という名が提案されたのはそのとき,昭和39年2月16日の集まりにおいてである。
Copyright © 1965, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.