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はじめに
臨床心理士の国家資格化については,ここ数10年来の懸案であり,幸か不幸か筆者はその約半分の期間についてかかわってきた(主に旧厚生省および現厚生労働省の研究班を中心に)。この資格化はいろいろ複雑な問題を抱えており,小生が数か月前に執筆依頼を受けてもその実情を知っているだけに原稿締め切りを過ぎても全く筆が進まなかった。一度はお断りしたが,ごく私的な考え(日精協常務理事としての意見ではなく)を散文的に思いつくままに書いてみた。今までの各方面における論点については,他執筆者が述べられていると思われるのでそれに委ねることにする。
小生が臨床心理士の方々と出会ったのはもう30数年以上前になる。小生は1969年春,金沢大学を卒業し有名な日本精神神経学会金沢総会の洗礼を受けた。小生なりに強い衝撃を受けたのがつい昨日のように思い出される。精神神経学会,病院精神医学会(現;病院・地域精神医学会),精神病理学会,精神分析学会等々,その後,数年間大混乱となり麻痺状態となった。反精神医学運動も盛んとなり,生物学派は強く糾弾された。そのような背景もあり,わが国でも1970年代は家族精神医学が盛んなりし頃であった。(当時は主に精神分裂病の病因論が中心であった。)
小生の入局当時は毎晩のように団交のみで,医局も麻痺状態が続いていたように思う。当時入局した同期生も全くカオスの中に放り出されたため,銘々バラバラに勝手なことをやっていたように思う。その1人には全く訓練を受けていないのにもかかわらず,精神分析に興味を持ち自由連想法を強行した豪傑がいた。(彼は後に渡米し,精神分析の専門医となった。)
小生は自分の家族歴にも強く関係すると思われるが,当時盛んだった家族精神医学に惹かれた。全くの独学であり,当時盛んに出ていた本や論文を片っ端から読み漁った。生物学派的な金沢の先輩医局員からは,多分,精神分析や家族精神医学を薄学にもかかわらずふりかざす小生たちは苦々しく思われていたに違いない。一方ではそのような混乱ゆえに我々のわがままも許されたように思う。金沢大学でも家族精神医学に興味を持つ精神科の医局員なぞ貴重な存在であったらしく,入局1年目で教育学部より講演依頼があり恥ずかしくもなく出向いていった記憶もある。その当時の理論の中心はベイトソンのダブルバインド説とリズの世代間の混乱が中心であり,小生も一番興味を惹かれた説であった。また国内では,日大の井村恒郎教授のもとで研究された音調テストなどの論文が強く印象に残っている。
さて,その後父の急・もあり,また医局も相変わらず混乱しており,わが谷野呉山病院も崩壊の危機を迎えていた。内外ともに多難な時期であり,“帰りなんいざ”の心境で富山に帰った。しかし,その後も家族精神医学への興味は断ち切りがたく,当時日大より順天堂大学へ移って講師をしておられた牧原浩先生の月1回の夜のセミナーにわざわざ富山より参加した。
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