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岡部治弥先生は,昭和45年に北里大学に新設された医学部の教授として赴任されました.新しい医学部,病院の創設に全国から集まった先生方と議論を重ねたと聞いています.当時,全国で巻き起こった青医連運動で問題提起された医局講座制の解体を踏まえ,各科間の壁の消失などを実現する新しい医学部,病院の創立を目指されました.結果,内科は一つ,臨床と基礎が同時に講義される,器官系別総合講義などの新しい試みが行われました.岡部先生は内科の責任者として,後には副院長として新しい診療体系の確立に努力され,後に新設された北里大学東病院,初代院長として奮闘されました.病院長としては,職員皆に慕われ,愛されたことは皆の一致するところです.診療面では内視鏡室長であった比企能樹先生とともに内科,外科の連携を重視されました.岡部先生にいつも言われていたのは,臨床医が最も心がけるべきことは,一例一例の患者さんを大切にすることであり,これが研究にも結びつくのだという言葉でした.九州大学時代のいくつかの業績,「多発性小腸潰瘍症」「悪性サイクル」なども,この姿勢の結果生まれたものでしょう.岡部先生の指示は研究のための研究ではなく,臨床のための研究であり,早期胃癌や消化性潰瘍の膨大な資料をまとめたのもよい思い出となっています.また,基礎医学教室との連携のため,多くの若い人(主として大学院生)を,病理学,生化学,薬理学で研究させ,その結果を臨床に反映させるという体制を構築されました.また,早くより,内視鏡を応用した研究を教室員に命じ,内視鏡治療の必要性を強調されていました.振り返ると消化器内科の基礎研究はほとんど岡部先生が確立され,われわれは,これを忠実に実行したにすぎないかもしれません.ただ,内視鏡診断,治療の面で世界的に活躍する若手が輩出されたことは,誇るべきことと考えています.消化管の形態診断学は消化器病学の基本と考えられ,九州大学時代から,力を注いで来られました.「胃と腸」誌は教室員が最も重視する雑誌で,岡部先生も晩年まで愛読されたと聞いています.病理学との協調研究で生まれた,藤原・八尾論文(胃と腸 6:157-174,1971)を凌駕するものは,その後見たことがありません.野球やゴルフ(その腕前は知りません)はもちろん,教室の飲み会では大活躍をされ,荒れる消化器内科忘年会も,その基礎をつくったのも岡部先生でした.教授としては,決してヒエラルキーの頂点にあるのではなく,われわれ下の者は好きに働き,また時々教授を批判することもありましたが,これらをすべて許していただきました.岡部先生は患者さん全体を診るのが内科医の務めと言うておられましたが,それぞれの分野の進歩は目覚ましく,臓器別に分かれていったのは,当然のことであったような気がします.こんなとき,岡部先生がどのような医師を造られたかは,私の興味のあるところです.他人に愛され,90有余年の生涯,いろいろ教えていただき,感謝の気持ちでいっぱいです.
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