アウトサイダーの窓
人間の医療についての寸見
堀 淑昭
1
1明治大学・臨床心理
pp.84-85
発行日 1965年1月10日
Published Date 1965/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402200655
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"病んでいる人間"の引き受け手はだれか?
医者の仕事をどう位置づけたらよいかといえば,人間が生きていくその運命の一環を医療の面で請負つている,ということでしよう。というのは,病気を治すことを,人間が生きていく全体から切離して,"病気が治りやいいんでしよ,病気が"と開きなおられたらやり切れない,ということです。このやりきれない状態が今では普通だと思うのです。いくら局部的専門家であるにしても,人間が生きていくという全体の大きな流れのその一部が医療なのだという自覚がないなら,これはもうメチャクチャです。
モラルという言葉は,倫理,道徳,とも訳されていますけれども,こう訳してしまつたのでは別物になつてしまう。禁止的な血の通わないものになつてしまう。精神という訳もないではない。モラリストというと人間の研究者だそうですが,ただ研究者というだけでなく,同じ人間として,人間の哀しさと勇ましさ,卑劣さと崇高さを共に切実にわがものとして感じながら,しかもそういう人間をもつと理解し共に光明の方へ歩もうとするひとびとのことでしよう。モラルは,もつぱら人間性そのものにもとづきそれに向つているもののはずです。
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