杏林間歩
森鴎外と津和野
H
pp.1093
発行日 1964年10月10日
Published Date 1964/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402200529
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島根県鹿足郡津和野町には森鴎外の生家が保存されており,邸前には「歌日記」からとられた詩碑も建てられている。ここには鴎外の弟森潤三郎未亡人思都子がほとんど盲目の晩年を養つていたが,昨年逝去したから,いまは津和野町の管理に移されて,管理人がいるだけである。
鴎外は10歳で故郷津和野を出てから,終生津和野には帰らなかつた。軍務で同地を通過するときに立寄つたとする説をなすものもあるが,記録にも止められておらず真偽不明である。鴎外の生まれ故郷が津和野であるとすれば,第2の故郷は青春彷徨の留学時代をおくつたドイツであるが,鴎外は生まれ故郷も,第2の故郷もともにふたたびその土を踏まなかつた。しかも死に臨んで賀古鶴所に筆録させた遺言には,石見の人森林太郎として死ぬことを肩ひじはつて強調している。死に臨んで胸裡に去来するのは,軍官の高位をきわめた権力の座ではなくして,人間鴎外を培つた故山のおもかげであつたかもしれない。
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