活動レポート
和歌山県の僻地における地域精神保健活動
朝井 忠
1
,
馬島 將行
1,2
,
角前 修二
2
,
中谷 好宏
2
Tadashi ASAI
1
,
Masayuki MAJIMA
1,2
,
shuji KADOMAE
2
,
Yoshihiro NAKATANI
2
1和歌山県精神保健センター
2和歌山県立五稜病院
pp.795-798
発行日 1993年11月15日
Published Date 1993/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401900919
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●はじめに
昭和39年3月24日,アメリカ大使ライシャワーが精神障害者の一少年に刺傷された事件は,私たち精神科医に大きな衝撃を与えただけでなく,アメリカ国民にも悪い印象を大きく与えたに違いない.マスコミは精神障害者「野放し批判」を展開し,治安当局による精神障害老監視がなされ,精神病院への収容が図られた.実際昭和38年の全国の措置患者数は53,925人であったが,昭和39年には62,719人,昭和40年65,829人,昭和41年は68,755人と急上昇を示した.精神科医たちは精神障害者家族会,精神医学関係諸学会,諸団体を巻きこんで抵抗したが措置患者数の急増は防げなかったのである.昭和39年より措置入院費は考えられないような額で増えていった(表1)1).
後年,J.F.ケネディは大統領就任の記念演説の中で「私たちは国家として精神病者および精神薄弱者を長い間無視してきた.この無視は終わらなければならない」と述べた.わが国も精神障害者を取り締まるだけでなく,アメリカにならって精神衛生センターを各都道府県に配置し,地域活動を行うようになった2).
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