保健婦活動—こころに残るこの1例
多発性関節リウマチのAさんとの出会い
片岡 富枝
1
1元滋賀県西浅井町役場
pp.577
発行日 1992年8月15日
Published Date 1992/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401900633
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人間が最低限必要とする欲求を,やむなく他人に委ねなければならないということは,想像以上のストレスがかかるものである.私は,多発性関節リウマチで全身の関節が変形を来たしたYさん,(64歳,女性)を思い出す.Yさんには,看護職として考えなければならない「援助の心構え」を学ばせて頂いた.
Yさんとの出会いは,私が琵琶湖の最北端,人口5,260人余の小さな町に就職してから3年目の晩秋の頃だった.Yさんは19歳からリウマチをわずらったが,教師として教壇に立っておられた.しかしチョークが持てなくなったため,退職された.教師である夫の転勤とともに,県内を転々としながら3子を儲け家事に専念されていたが,関節の障害は急速に進んだ.昭和51年には正座ができなくなり,数年後,人工関節置換術を受ける目的で入院したが,心肺機能が手術に耐えられないということで手術を断念し,夫の故郷である本町に帰ってこられたのだった.
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