特別寄稿
公衆衛生学習40年
橋本 正己
1
Masami HASHIMOTO
1
1埼玉県立衛生短期大学
pp.248-261
発行日 1983年4月15日
Published Date 1983/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206682
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このたび私は7月1日付で25年間お世話になった国立公衆衛生院を退職させていただいた.思えば戦後の厚生省関係の勤務は30年を数え,これに太平洋戦争を含む軍務の期間等を加えると大学卒業後42年余を公務に従事してきたこととなる.それで私個人としては,この辺で自由人となって,戦後の日本の公衆衛生の経験を活かして東南アジア諸国などのプライマリ・ヘルスケアの推進に役立ちたいと考えていたところ,人生航路は思うにまかせず,突然にも埼玉県立衛生短期大学の強い要請によって学長に迎えられ,その後,地域の保健医療の人材養成に微力を尽している.
私は昭和15(1940)年3月大阪大学医学部を卒業し,当初外科医を志望して第1外科教室に入局した.しかし,その直後から短期現役の海軍軍医として,大戦をはさみ約6年間を従軍,幸い生き残って祖国に復員の後は考えるところあって公衆衛生に転向し,爾来今日まで40年近く,一貫して公衆衛生の実践,行政,教育,研究にとりくんできた.周知のとおりこの40年は,日本社会にとっては激動につぐ激動の時期であり,当然ながら公衆衛生にとっても浮沈の激しい時期であった.
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