人とことば
Publicということの理解について
梶原 三郎
1
1阪大
pp.503
発行日 1968年12月15日
Published Date 1968/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203780
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Public Healthという言葉は,敗戦に際して日本に入り,公衆衛生と訳され,それは憲法25条に用いられている。このHealthについてはさほどではないが,Publicについては,しばしば自分で,よく理解・把握しているかどうかを疑うことがある。こんな反省のとどのつまりは,publicはまだ君の身についていないよという,影の声のなじりで終わる。明治に生まれ,大正に学び,昭和に働いた私には,publicの一員になりきれない性質がこびりついているらしい。幼少期に父母から受け継いだ封建的な伝統が,まだ心の底に沈積していて,なお私の心に傾向をもたせるのかもしれない。私なりには,publicということの理解に勉めてきた。しかし私が現実の集団としてみてきたpublicなるものは,たいてい反抗的な小集団の暴力的な騒動に類するもので(浪人時代・川崎造船所労働争議,大学生時代・米騒動,流行性寒冒下のある紡績工場の女工集団とそのモラル),健全に成育する亭々たる巨木を憶わせるような人間の集団ではなかった。現実としてみられる人間集団は軍隊だけであって,日本にはpublicらしきものは全くなかったのではないか。
辞典によると,publicはprivateの反語である。公と私の対比は,日本の伝統においてもはっきりしている。しかしpublicと公の間には質的(意味的)な差異がある。
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