論説
米國に於ける公衆衞生と公衆責任(Public Liability)
早川 淸
pp.342-343
発行日 1947年3月25日
Published Date 1947/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200112
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新憲法に「國民は健康で文化的な最低限度の生活を營む權利を有し,國はすべての生活部面に就いて社會福祉,社會保障,公衆衞生の向上及び増進に努めなければならない」とある。權利の存する所義務がある。即ち逆に國民は社會福祉,社會保障,公衆衞生の向上及び増進に關し公衆に對する義務がないであらうか。之れ即ち公衆責任(Public Liability)である。米國に於てはこの觀念は一般に特くに強く,日本であるとせいぜい公衆道徳位にしか看做されて居らぬ樣なことでも違反者を處罰する位いの強い法律が規定せられておる場合が多い。
例へば私があちらに居つた時,Los Angelsの或る果物屋の店先きのコンクリートの前で,お婆さんがそこに捨てられてあつたバナナの皮で滑つて轉び怪我をしたところ,不用意に果皮を店先に捨てた角でそこの主人は罰せられた。又た他の例では,冬,屋先の道路にぶちまかれた水が夜に凍結し,翌朝そこを通つた男が滑つて怪我をしたので,その家の主人はすぐ公衆責任に問はれ訴へられて高價な賠償を佛はされた。又たNew Yorkの或る商社の便所の手洗場に石鹸がなかつたので私が訊ねたところ,そこでは石鹸の水が大理石の床に落ちて客が之れに滑つて轉び,公衆責任に問はれたことがあるので以後置かないと言ふ説明であつた。
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