映画の時間
医(いや)す者として―映像と証言で綴る農村医療の戦後史
桜山 豊夫
pp.988
発行日 2012年12月15日
Published Date 2012/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401102621
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今月は,1945年3月6日に若月俊一博士が赴任してから現在までの半世紀以上に及ぶ,佐久総合病院の活動の歴史を描いた「医す者として」をご紹介します.「医す」は「いやす」と読みます.ふつうは「癒す」でしょうが,「医す」と書いた理由は,映画を観ていくうちに納得できるでしょう.
十年ひと昔と言うように,時代の変遷は著しいものがあります.若月先生の赴任された当時の佐久地域の健康問題は(佐久に限ることではありません.日本全体の健康問題でもあるのですが),寄生虫症,結核等々,現在とは様相が違っています.残された当時の映像を観ると,これが日本かと思うほどです.これらの貴重な映像の多くは,佐久総合病院映画部が撮影したものだそうです.
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