- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
まず,くどいようだが経緯を述べさせていただく.10年ほど前,上州(群馬県)の医師・上原元伯の『暴瀉病ニ付』という渾身なる古文書をみつけ幕末のコレラのことを初めて目にし,さらに赤堀家文書(群馬県伊勢崎市)の『安政記聞』の中で系統的に安政5・6(1858・1859)年のコレラの実態を知ったのは偶然ながら幸運なことであった1).その後地元の倉賀野神社や赤城神社,玉村宿の『三右衛門日記』2)などからもコレラの古文書をみつけ,さらに関東地区の古文書を渉猟しながら,2021年秋に『古文書からみた幕末のコレラ-コロナ禍に遭遇して-』3)(みやま文庫・群馬県)を上梓することができた(図1).コレラに関しては,「流行する(うつる)が,感染する(細菌が侵入する)ことはまったく知らなかった」ということが実に意外だった.つまり現在知られている感染の概念は当時の想像をはるかに超える事実だったわけで,本邦では図1のような悪鬼(実際はみえない)のような「気」にその原因を求めていたというしかない.
その後,文久2(1862)年にもコレラがさらに猛威を振るったことを調べる作業から,幕末のコレラのことはぜひとも残しておかねばならないと考え,「群馬県に残された風説留」(URL https://hattori321komonjo.livedoor.blog)と題してブログを立ち上げることを思い立った(2023年3月).
周知のようにコレラは細菌感染症である.コレラ菌の発見は明治17(1884)年だったことを知って4),それでは目にはみえにくい疥癬虫の発見はいつだったのだろうかと疑問が湧いた.確かそのことは本誌に以前投稿した『吉田松陰と疥癬』5)を調べたときから,調べる術もなくその後ずっと闇のまま放置しておいた疑いだった.
今回,ブログ上に「吉田松陰と疥癬」を載せようと『吉田松陰全集』6, 7)を紐解いてもう一度疥癬を試行錯誤していた際,書棚の片隅でずっと日の目をみなかった『列氏皮膚病学』8)[明治29(1896)年]を何気なく手にとってみた.驚くなかれ,そこにはなんと疥癬虫の発見に関する記事があるではないか!
(「はじめに」より)
Copyright © 2024, KYOWA KIKAKU Ltd. All rights reserved.