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●特定健診は特定保健指導をするためのスクリーニングである――福永論文の解説は,何となく堆積していたモヤモヤを解消してくれる説明でした。健診を受けるとき,私はヘルスチェックアップのイメージをもっていたようです。病気になって医療機関に赴き検査を受け,「あなたの病気の状況はこうですよ」と伝えられる,そうした臨床検査からの連想で,健診の場合もスクリーニングを受けているという印象はあまりなく,自分が《健康である》ことを確認する機会,慢性疾患をもっているならその疾患の状態の説明が受けられる機会,と感じていたわけです。すると,なぜ特定健診・保健指導では要医療の人が別枠なのかが,いまひとつ呑み込めなくなります。内臓肥満に着目するといっても生活習慣病対策ではあるので,要医療の人への支援が一体的に取り組まれたとして不思議ではないと思えるのです。しかし,特定の人々を《健康にする》戦略としての特定保健指導があらかじめ用意されていて,その対象者を抽出すると考えれば,要医療の人への支援が別立てとなることも納得できます。●そうした何らかのプログラムによって住民を《健康にする》姿とはまた少し趣の異なる保健師の立ち現れ方として,2年ほど前に携った『無名の語り』という書籍を思い出しました。東京都の保健師でいらっしゃった宮本ふみさんが執筆されたもので,多様な健康問題を抱えた人々に保健師が向き合い,その人たちの傍らに添う情景を描いた12編の物語が収められています。どの物語も,保健師が健康問題をズバズバ解決していくようなものではなく,暮らしのなかの健康問題の根深さを思い知るかのように保健師はただ右往左往しているようにもみえるものです。「保健師がその人を健康にしたのか」という基準に当てはめて評価するなら,失敗事例に分類されそうな結末も少なくありません。しかし,これらの物語は,保健医療職ではない私にも,保健師の凄みが伝わってくるものでした。出会った人々の病は癒えず,背負った苦労も減らないのですが,保健師はそのときのその人なりの《健康としてある》状況を支えるものとして《ある》ことが,とてもリアルに了解できたのです。●ところで,《健康にする》という表現は,援助専門職に違和感を与えるものかもしれません。主語を住民や支援対象者に換えて《健康になる》とすると,その違和感は解消しますが,「つまり,保健師は住民が《健康になる》ようにするのだ」といわれると,何やら違和感がまた少し復活してきます。ただ,「ターミナル期にある人に対しても保健師の支援は存在しうる」と語るときは,その人が《健康になる》(死を先延ばしにする)ことを想定しているのではなく,その人のそのときの《健康としてある》を支えることを意味しているのでしょう。健康とは《なる》ものなのか,《としてある》ものなのか――わかりきっているようで,なかなか捉えきれません。
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