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日本人は集會の技術の低い國民である。いろんな意見の持主が集つて,和やかに意見の交換をし合い,お互に啓發し合うといつた民主的な手續きに慣れない國民である。その端的な現れが國會である。たとえ自分と反對の見解の持主であるとわかつていても,言うべきところは言わせ,聞くべきは聞いて,然る後自分の見解を納得させるよう努力してみるということは,結論明瞭で無駄に見えて實は非常に大切な順序である。というのは正しい見解というものは誤つた見解があることによつて成長するのである。或は二つの見解の論争の過程に於て,益々正しいものゝ論點が明確になつてくる。この相互作用は正しいことを普及するためには缺くことの出來ない手順なのである。面白い例がある。ある英人がタイプを打つときに,どうしても治らない悪い癖があつた。THEと打つべきところをHTEと打ち損うのである。どうしても癖がなおらない。困つていた。ある時思い付いて,反對にHTE HTE……と間違つたスペルをうんと打つてみた。するとぴたりとTHEの打誤りが止んだそうである。
私たちは反對論を觀迎しなければいけないのである。というよりは廣く集會の民主的な運營全般になれて,もつと有效な集會の開き方,進め方を身につけねばいけない。衞生教育にはいろんな手段がある。その中でも母親教室とかPTA總會とか,或は婦人會,女子青年團,赤十字奉仕團の會とか,樣々の會合によつて衞生知識をひろめることが段々とふえてきた。だから集會の技術はますます主要になつてきた。集會といつても,講演會と座談會とでは全く違う道理ではあるが,しかしそうしたものに共通の要素があると思うので,それを抽出してみて參考に供そうと考えた。もちろんこの他にも私の思い付かない要素が多いとは思うけれども。
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