発行日 1947年2月15日
Published Date 1947/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906182
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僕は先年華府のウオタークード病院に流感で又マニラの陸軍病院にデング熱で2囘入院し何れも米國陸軍の看護婦さんの手厚い看護で全快の上退院した。處で其間熟に感じたことは看護婦さんの爲すべき仕事であつた,日本では多くの看護婦さんは人の看護に當り體温も脈搏も便も尿との量や囘數や注射の囘數やを體温表に記入し便や喀痰や患者の状況變化をお醫者さんに知らせれば之れで我事終れりとして居る樣である。然るに米國の看護婦さんたちはソンな者ではない,出來るなら之等の婦人の簡單な普通の檢査もし容態變化の状況の原因迄も突きつめて報告して居る。それよりも大切なのは,一に看護,二に食事,三に醫藥といふ樣に人をみとる看護は出來ても大切な食事は日本の看護婦さんには何とも出來ない,患家や病院で作つてくれる食事を果していいのか惡いのか鵜呑にして與へて居り自己も亦食して居る。果して之れでいいだろうか。之に附いては醫師にも責任があるが食事の内容はどうであつてカロリー量がいくらあつて蛋白脂肪含水炭素との比とか其他ヴィタミンの含有の程度味や嗜好なども吟味して醫師に意見を云い又病人の爲めにな弓樣に仕向けねばならぬ,勿論疾病によつて其獻立に注意をし糖尿病だとか腎臟や肝臟の疾患には如何なる獻立がいいかなど自己で考へて自分で調製して患者に進めるといふ着意がない,僕が華府やマニラで恢復の早かつたのは之れに基づく事と思ふ。
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