巻頭随想
助産婦さん方へ
金子 光晴
pp.9
発行日 1967年7月1日
Published Date 1967/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203420
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「どうして両親は,わたしみたいなものを生んでくれたのでしょう」とか,「僕は,生んでほしいなどとたのんだおぼえはないよ」などということばは,欲求不満からきた捨てことばでありましょうが,戦前よりも,戦後になって,やたらに耳にするようになったことばです.戦前でも決してきかなかったとはいえませんが,よほどひらき直るか,ふてくされた子女たちの口からしかきけないものだったこんなことばが,無雑作に,普通の会話のなかにでも飛びだして,気の弱くなった両親の胸をぎっくりえぐり,ゆく末心細いおもいをそのつど,味わされているようです.リベラリズムの世のなかになって,むかしからもっていた若いものの気持を自由に口に出すようになったまでのことさ,と言われれば,そんなものかもしれませんが,そうだとすれば,リベラリズムも,ずいぶんニュアンスの乏しい,づけづけしたものだということになりそうです.
生きることの絶対の価値については,僕ら生みおとされたものには,よくわからないというのが本当でしょう.ひどい時代に生まれあわせることもあれば,つまらない境遇に置かれる場合もあるでしょうが,少なくとも,いのちを獲得したということは,それだけで,たいへんな可能性をつかんだということにはなりそうです.価値は,生きているものがつくってゆくほかはないでしょう.
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