新たな50年に向けて いま伝えたいこと・第9回
武富由雄
pp.1167-1171
発行日 2014年12月15日
Published Date 2014/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551200076
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
私が大阪大学病院整形外科理療室に就職したのは1954年,理学療法士及び作業療法士法の制定前であり,理療師としてポリオの後遺症の患児や関節疾患を主とする整形外科手術の後療法を行っていました.当時は「リハビリテーション」という言葉は聞いたこともなかったですね.
阪大病院でリハビリテーション旋風が巻き起こったのは,1960年に水野祥太郎先生が整形外科教授に就任されたころからです.当時のことで印象深いのは,1963年に第1回日本リハビリテーション医学会が大阪で開催されたときのことです.学会長を務める水野先生から,「そごう百貨店でリハビリテーションのPRをするから,君たち,ポスターを作れ」と言われたのです.英語の文献など資料を集め,終業後にポスターの下書きをして水野先生に見てもらうのですが,何も言わないで出ていかれる.駄目ということなんですが,それが何日も続くんですよ(笑).
Copyright © 2014, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.