オピニオン
沖縄からのメッセージ
山根 誠久
1
1琉球大学医学部臨床検査医学講座
pp.512
発行日 1997年6月1日
Published Date 1997/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543903068
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沖縄,琉球大学に赴任して最初に出会った体験は,立場が違うと歴史の見かたも違うということです.1951年9月8日はサンフランシスコ平和条約が締結された日です.私が幼少時代に学校で教わったこの条約の意義は,第二次世界大戦に敗北した日本が再び独立国として世界から認められた日,国際社会へ復帰した喜ばしい日として覚えています.当時の吉田茂首相を先頭に,日本国政府閣僚が満場の拍手に迎えられて会議場に入場するニュース映画を覚えています.しかし,私が赴任して最初に知ったのは,このサンフランシスコ平和条約締結の日こそ“屈辱の日”として沖縄の皆に記憶されていることです.沖縄本島北端,鹿児島県与論島を望む辺戸岬には,この“屈辱の日”という言葉が印された記念塔が建っています.この日は沖縄に住む人々にとって,日本国が「沖縄はもう結構です」と言って世界に公言した日として記憶されているのです.今,沖縄の人々が日本本土に切に望むのは,決して感情的な同情論ではなく,ただ単に「公平に扱ってほしい」ということです.沖縄でのこの体験の意味は,見る人が違えば,立場が違えば,歴史の事実すらまったく異なる評価になってしまうということです.臨床検査という異なる領域の集合体を管理する立場として,自分とは異質なものも,素直に,そしてフェアに評価できる自分,ヘテロをも公平に理解できる自分をまず心がけたいと思っています.
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