付・私たちの検査室
ただベストを尽くすのみ
稲生 富三
pp.693
発行日 1974年6月15日
Published Date 1974/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542908585
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戦災による焼野原に残っていた2階建の旧三菱航空機病院,それを厚生省が買収し,健康保険の被保険者を対象として昭和22年12月1日に開院した.当時の病床数は55であった.周囲に民家が,町工場が,さらに高層アパートがつぎつぎと建ち,診療圏が広がるにしたがって外来棟,病棟その他が増築され,いまでは外来も冬が1,000〜1,200,夏には1,300〜1,400となり,病床数も632となった.
内科に付随したような形で2名の職員を配し,23年3月から整備されだした臨床検査室は,病院の飛躍と臨床検査の進歩発展が相まって拡張され,中央化制度を採用して中央検査科と改めたのが35年6月である.検査量の増大に応じて他目的の部屋を譲り受けながら経過し,41年4月には機構の改革によって検査部となり,45年1月に完成した7階建の中央診療棟に移った.配置図のように,1階は280m2で生理検査を行い,2階は425m2のワンルームで,細菌,血液,化学,免疫,病理などの検査を行っている.
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