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Tuberculostearic acid (TSA)は1929年,米国Yale大学のAndersonらにより結核菌菌体成分のアセトン可溶分画より分離・抽出された脂質成分の一つで,分子量298(C19H38O2)の側鎖飽和脂肪酸である1).一般名は10―methyl-octadecanoicacidで,図1に示すようにstearic acidの10位の炭素にメチル基が結合した比較的単純な構造の脂肪酸である.生物学的活性が乏しいため,結核菌の脂質に関する膨大な研究の歴史の中でも,あまり注目されることはなかったが,TSAの合成法や結核菌におけるTSA生合成の代謝過程が解明されていく中で,TSAは結核菌を初めとするActinomycetale目の一部の菌種に特異的な脂肪酸であることが判明した2).非定型抗酸菌やノカルジアの菌体成分中にも存在するため,それらの菌種との鑑別にはならないが,その発症頻度を考慮すると,TSAの検出は臨床的には結核症の診断に有用と考えられる.なお,結核菌菌体成分中には,このTSA以外にも10―methyl基の分枝を持った脂肪酸が数種存在することが確認されているが,量的にはこのTSAが圧倒的に多く,結核菌脂質成分中の約10%を占めると言われている2).ガスクロマトグラフィー(GC)の細菌学への応用の歴史はかなり古く,分離培養された多量の細菌菌体成分の脂質分析におけるGC波形のパターンから菌種を同定しようとする試みは数限りなく行われた.しかし,臨床検体(喀痰,尿,胸水,腹水,髄液などの体液)へ直接応用するには感度の点などで問題があり,GCと分子構造の決定が可能なマススペクトロメトリー(MS)とが結合されたGC/MSの開発によりSelected Ion Monitoring(SIM)の手法が導入され,特異性の高い微量分析が可能となる時代を待つことになる.1979年,Sweden, Lund大学のLarssonらは喀痰の5日間培養検体中よりGC/MSを用いてTSAを検出し,肺結核症の迅速診断法としての有用性を初めて提唱した2).彼らは塗抹検査陽性の,5名の肺結核症患者および,1名のMycobacterium aviumによる非定型抗酸菌症患者より採取した喀痰から脂質を抽出し,3%塩酸メタノールにてメチルエステル化後,薄層クロマトグラフィーに展開して粗分離した検体をGC/MSに注入し,TSA-methylの分子イオン(m/e=312),およびその特異的フラグメント(m/e=167)をターゲットとして,SIMの手法でTSAを検出した.喀痰よりの直接検出では6名中5名でTSAが検出されたが,同じ喀痰をL6wenstein-Jensen培地にて5日間培養した培地洗浄液を用いた場合には6名すべての検体からTSAが検出された.GC/MSによるTSA検出の典型例を図2に示す.m/e312および167のいずれでもTSA(bのピーク)が検出されており,合成標品(t)の追加により(bのピークがb+tのピークになっている)TSAとして同定されている.彼らは図2からもわかるように5日間培養検体のほうが喀痰自体の脂質成分(a,c,dのピーク)の混入も少なく,より有用であると報告している.一方,非結核性の肺炎患者8名から採取した喀痰からはいずれもTSAは検出されなかったという.さらに,1983年には同グループのMardhらが髄液中のTSA検出の一例を報告して,結核性髄膜炎の迅速診断における有用性を提唱している3).われわれも彼らの方法に準じて1985年より検討を開始し,短期培養検体での有用性については確認し報告した4).Larssonらは少数例で,しかも明らかに塗抹検査陽性の患者についてしか検討を加えていなかったが,1987年Hong KongのFrenchらは多数の肺結核症患者について喀痰中のTSA検出を試み,その有用性を確認している5).彼らは脂質の抽出方法に若干の改良を加えるとともに喀痰自体からの直接検出にて,約300名の肺結核症患者について検討した結果,表1に示すように,GC/MSによるTSA検出の感度は塗抹検査よりは優れているものの,培養検査よりは若干劣っていると結論づけている5).われわれも培養過程を経ず検体からの直接検出を試みるとともに,検出方法の一部にも工夫を加え,より迅速化を図ってみた.また,臨床検体についても喀痰のみならず,胸水や気管支洗浄液などまで範囲を広げ応用し,その経過を追いつつ検討した結果,培養検査陰性例でもTSAが検出される症例を認めている6).いずれにせよ,本法の感度に関しては若干検討の余地が残されているようだ.
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