グラフ
地域に根差した"温かな"病院—特定医療法人愛仁会高槻病院・理学診療科病院
pp.449-454
発行日 1987年6月1日
Published Date 1987/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541209070
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高槻市は京都市と大阪市のほぼ中間,両市から電車で約30分のところに位置する人口35万の中規模都市である.10年前,この地に医療法人愛仁会としては2番目の病院,高槻病院(180床)を開設するが,すぐに来院患者数が激増,早くも57年には隣接地に新築移転(320床),翌58年には新病院の医療機能を補完する形で,旧病院を3番目の病院,理学診療科病院(202床)として開院する.この急激な発展は,高槻市には総合病院が大学病院,公的病院各1施設しかないこと,駅から徒歩10分という立地条件の良さもあったが,医療法人愛仁会の医療理念が地域住民に歓呼をもって受け容れられた結果であると思われる.
医療法人愛仁会は昭和33年,生活および労働環境の恵まれない地域に適切な医療を提供することを目的に発足,34年に最初の施設である千船診療所を開設(57年に292床の病院として新築移転),医療活動を開始する.そして,経営と診療機能の分離という独特の病院経営戦略(詳細は弊誌44巻1号,83-87頁を参照)で前進を続けるが,基本となる医療理念は「患者のための医療」であった.高槻病院開設に際しても,市民,行政,医師会を交えた2年間の討議を重ね,地域の要望に合った医療内容の提供に腐心している.
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