グラフ
温泉病院のアルバム
pp.747-754
発行日 1961年10月1日
Published Date 1961/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201847
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伊豆,箱根あたりは,温泉の郷,足柄の土肥の河内にいづる湯の世にもたよらに児が言わなくに,と万葉の相模の国の歌の里を慕って,湯河原へ赴く。さくに,国境を超えて,伊豆伊東へと,そこなる二つの湯の町に,温泉病院を訪ね,社会復帰の希望に,眼を輝かしている身体傷害者の幸福な姿を,この目で見,このカメラにもキャッチした。
今から約1000年前,聖徳太子が,伊予の国道後に温泉を開き,民衆のための治療の場とし,保健の場ともなしたと伝えられている。温泉は,国民医療の場,自己治療の場,そして,精神安定の場ともなった。明治,大正のころ,馬に揺られて行く,山の湯治場道は農閑期の風景であり,また壊しの古里の思い出であり,ときに郷愁の詩ともなった。この頃,温泉町のどよめき,レジャーの町,そして湯の町エレジー,いづれも不快指数とされている。それが,一方,科学と人類に奉仕する精神と社会主義とが,温泉治療の近代施設を創造し,近代的湯煙が脚光にゆらぎ出した。
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