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昨秋,2020年の東京でのオリンピック開催が決定した.東京での開催は1964年以来56年ぶりのことである.前回の落選を苦い経験として,今回は真摯に誘致活動を行った結果,開催地として選ばれたことは本当に喜ばしい.1964年の東京オリンピックでは,女子バレーの金メダル獲得など強烈な印象が残っており,私は当時20歳(大学3年生)で東京大学準硬式野球部員として練習に明け暮れていた時期だったが,サッカーの試合のチケットを得たために実際のオリンピックを見聞することができた.果たして6年後に自分が生きているかも甚だ疑問であり,さらに観戦することができるのかわからないが,現在の不景気な社会情勢に活が入り,確固たる目標ができたことで,日本にとって画期的な慶事であることは間違いない.6年後には脳神経外科はどのような状態になっているのか不明であるが,日本脳神経外科学会にとっても,このオリンピック開催が追い風になってくれれば良いと願っている.残念ながら野球とソフトボールは開催種目から外されて,レスリングが決定したが,これは予想されたことである.しかし,WBCや高校野球大会,大学野球,プロ野球など野球は日本に深く定着した人気スポーツであることは間違いない.脳神経外科と野球の関係ではHarvey CushingがYale大学で野球選手(キャプテン)として活躍したことは有名である.日本でも東京医科大学の伊東 洋学長,慶應義塾大学の塩原隆造先生など,野球の名手は枚挙に暇がないほどである.また,全国脳神経外科野球大会は定着した恒例の行事となっており,日本の脳神経外科にとってはレスリングよりも野球との関連性のほうが強い.私は下手の横好きで,中学校の後半から健康のために野球を始めた.受験で高校3年の時は休止したが,大学に入ってから硬式野球部に入ろうかなと思った.しかし,医学部で硬式を続けるのは大変ということで,準硬式野球部に高校の同級生2人と入部した.今でも野球部の先輩,後輩などが私の外来に来てくれているし,野球部に入ったおかげで健康な体を得,スキーで左足の骨折の手術を受けた以外には現在まで無傷で働くことができている.
私は鳥取大学に助教授として3年,教授として14年の計17年5カ月奉職した.その契機も野球が絡んでいる.鳥取大学に赴任したのは1981年1月であるが,当時の鳥取大学の教授は佐野圭司教授(Fig.1)の2年先輩で第一外科出身の斉藤義一教授であった.助教授の喜種善典先生が亡くなられ,斉藤教授から佐野教授に東大の若い人を助教授で出してほしいという要望があり,佐野教授は斉藤教授が野球好きであることから,当時医局対抗野球などで頑張っていた私に白羽の矢を立てられ,「どうだい鳥取に行ってみないか」とのお誘いを受けた.鳥取と言えば,米子東高校が当時度々甲子園に出ていたので,米子という地名を知っていたぐらいで,まったく縁のない土地であったが,東京で生まれ育って田舎のない私にとって,地方で働いてみるのも人生にとって良いことではないかと考えた.妻に相談したところ,「貴方が行くのなら付いて行きます」という返事をもらい,佐野教授に「鳥取に行かせてください」とお願いして話がトントン拍子に進んで赴任した次第である.
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