研究ノート・23
太藤先生流の研究
宮地 良樹
1
1天理よろづ相談所病院皮膚科
pp.963
発行日 1991年11月1日
Published Date 1991/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1412900482
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内科レジデントを終えて大学に戻ろうとしたときに,研修医の応募締切後なのに入局させて下さったのは太藤先生だった.あいさつに行ったとき開口一番に言われたのは,「君,授業に出とらんかったな」の一言であった.退官されるまで2年もなかったが,自分の研究を始めた時期でもあり,その影響は甚大だった.当初,私は,開業医の子弟の習性として,数年で開業するつもりで,郷里でビル診でもやろうかと考えていた.その人生計画の第一歩を躓かせたのも太藤先生だった.「研究は博打や」と公言してはばからない麻雀好きの先生は,回診の最中にも突飛とも思えるアイディアを出される.研修医のとき,主治医として受け持った血管炎の患者さんを前に「DDSは白血球の炎症に効くなあ」とつぶやかれた一言が麻雀を知らない私を博打のような活性酸素研究に走らせた一因となった.そのあとは何も言われないので結局自分で勉強するしかないが,そのほうが却って自由で気楽だった.論文を持って行っても「英文で書かなあかん」と言われるくらいで内容についてはあまり言及されなかった.気がついてみると,数年で開業の筈がどっぷりと研究室に入りびたりになっていた.開業するよううるさかった父も,数年前には隠居してしまった.
先生がご退官後も私が関西電力病院に隔週出張していたこともあって,papuloerythrodermaやgroupingprurigoの英文論文の英語をcheckさせられた.70歳を過ぎられてもなお,ご自分で写真をとられ,生検され,英文論文を書かれる気迫には敬服するものがある.この前向きの姿勢が次々と新しい疾患概念を確立される業績につながるのだろうと思う.
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